桜井正廣館林市議会議員が、市政報告誌「結」を発行されました。
館林市政にたいする評価等が、詳しく記述されております。
様々な情報が錯綜する中で、ご参考になればと思い、投稿させていただきました。
ご本人の了解もいただいております。
2019年12月 8日・新型コロナウイルスは中国の湖北省武漢で原因不明の肺炎として発表されました。早いもので、もう1年以上が経過しました。
2月3日、3、711人の乗員乗客を乗せた豪華客船ダイアモンドプリンセス号に感染症の集団感染が発生し、合計712名の患者が確認され、乗客者は横浜で下船されずになった事から停泊している様子が連日TVなどで報道され話題になりました。 そして、3月29日コメデイアンの志村けんさんが亡くなりました。
感染の発表が3月25日、亡くなったのが29日・・・あまりにも急でした。ある意味、強制力のない外出自粛要請にも関わらず、コロナウイルスの感染第一波を抑えられたのは「志村けんさん、亡くなる」の報道によるウイルスに対する恐怖心の大きさが影響した・・とも云われました。WHO(世界保健機関)は、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大はパンデミック(世界的大流行)と表明し、4月7日・緊急事態宣言が発令・更に1月21日この影響によりソーシャルデイスタンス(日常生活を守る距離)が発令、一般企業を含め飲食業・発汗産業などの営業も自粛されました。2021年1月・10都府県、東京・神奈川・埼玉・千葉・岐阜・愛知・京都府・大阪・兵庫・福岡に2度目の緊急事態宣言が発令・・3月7日まで延長になり現在に於いても、更に深刻な状況は続いています。
既に、ご承知の方も多いと思いますが、現職の須藤和臣市長と、同じ緑水クラブ出身の元市議・多田善洋県議の戦いになる様子です。
4年前と同じ「保守分裂」の戦いになります。昨年、早い段階から私の所属する「緑水クラブ」もどちらの候補者を支援するのか意見が分かれました。
私は、現職の須藤市長を支援する事に決めていました。それは、4年前に須藤県議(当時)が出馬を表明し、支援しようと決めた時から変わりません。
この時は、最初に出馬表明をしていたベテラン県議と他1名の戦いになる様子でした。私は、所属する「緑水クラブ」の先輩議員3人と他に誰も出場しないのなら会派から候補者を出そうっと決めていましたが、先に同じ県議の須藤さんに「出馬の意思」があるのか確認してから決めようと、本人に打診したところ「家族の理解を得られれば・・検討したい。」との見解でした。数日後「出馬を決めます」との連絡を受けた私達4人は、須藤県議の支援を決めました。
今年は、須藤市長の4年間の市政運営と実績が問われる選挙となります。 新型コロナ感染症対策、医療・福祉対策、日本遺産認定等、斬新で様々な結果を出しているのですが・・話題になるのは、公用車の利用頻度、副市長不在の状況、宴席での退席の早さなど・・・政策や実績ではなく、本人の取り組む姿勢に対する「批判」が多い状況だと感じていますが・・「批判」が「誤解」であると思う事もあるのでこの場で記載します。
市長には、公務と政務の区別があります。公務とは行政のトップとしての仕事。政務とは一人の政治家としての仕事です。平成28年、当時の舛添東京都知事が「公務」と「政務」の公私混同疑惑で、公用車でほぼ毎週末・都庁舎と湯河原の別荘を往復、他に野球観戦などにも使用した事が報道され辞任原因の一端となりました。須藤市長は、公務と政務を区別しています。公務の場合は公用車を利用し、政務の場合は、自分の車両を運転して移動をしています。この状況が「批判」されていますが正当な活動姿勢であると思います。
また、現在副市長は不在の状況が続いていますが各自治体の形態は、市長が自らマネジメントを行う場合とアメリカのように、シテイマネージャーを置くなど副市長にマネジメントを任せる場合があります。館林市では、長年後者の手法が取られてきました。安定した時代・発展してゆく時代であれば、この手法は十分に有効であると思いますが、現在の様に少子高齢化・人口減少時代・自然災害多発期・財政難・新型コロナウイルスによる感染症対策など、様々な困難に向かう現在では首長の強いリーダーシップの元、大きな社会改革が求められている時期だと思います。宴席に於いては挨拶後、約1時間は残り情報交換などを行なっていますが、年始・年末など繁忙期などは宴席の時間が重なる為、退席が早い場合もあります。
新たな手法・改革を行う場合、必ず「批判」や「戸惑い」は付きものです。安定したものを崩して新しい仕組みを作るのですから・・・どの様な結果が出ても自分の責務として「本人」が負うもの。「支援をする!」と決めた責任に於いては須藤和臣が現職でいる限り応援をする。そう決めたのも私自身です。
そして、須藤市長を支援する最大の理由は、私達には谷津事務所・安樂岡一雄 前市長の直弟子と云う「絆」があるからです!!
但し、皆さんからの苦言等に対しては責任を持って本人に伝えていきます。現在、仲間と共に「当選」に向けた最大限の努力を続けています。
☆ 4年前、安樂岡一雄前市長の志を継ぐ「第五次館林市総合計画」の遂行と、災害時の危機対応能力の向上を含めた 5年・10年先を見据えた次世代に繋ぐビジョン「先端の街・館林市」を自身の目標に掲げ活動を続けて参りました。 上記に挙げた項目は、4年間の新たな政策と実績の一部です。
一期で、これだけの公約を実現させた政治家を変える必要性があるでしょうか? 彼は、今後どの様な状況になっても「公約通り」これから先の時代に適応した館林市ビジョンを見据えています。
一期4年で終わらせる逸材ではありません ☆
故・安樂岡市長・須藤県議と
全面的に支持して頂いている山本一太知事と
私と安樂岡さんは、県議会議員だった谷津義男議員が昭和63年、次期衆議院選挙に出馬する為に開設した谷津義男事務所の初期メンバーでした。
そして、須藤和臣氏は平成6年に谷津事務所に入所して来ました。須藤さんが谷津事務所・年末恒例の忘年会に奥さん共々初参加して来た時の事、彼の挨拶は「谷津義男の養子になりました・・」でした。あまりの出来すぎた挨拶に、参加していた秘書・後援会幹部達の面々は唖然とした表情、私の隣に居た秘書仲間が、手元にあった「おしぼり」を天井に向けて放ったのを覚えています (笑)
安樂岡さんは平成7年・群馬県議会議員に初当選、平成19年、館林市長に就任されました。須藤さんは、平成12年・谷津代議士が農林水産大臣に就任されると秘書官に就任。その後、平成19年、群馬県議会議員に初当選。現在、館林市長です。私は、平成20年公設第一秘書として再度 谷津事務所に参加しました。上記の写真は、安楽岡市長・須藤県議と共にある団体の「忘年会」に招かれた時の写真です。私は、市議会議員として当選した翌年の忘年会。安樂岡市長の提案で「同じ谷津事務所のメンバーが、議員として同じテーブルに揃った。記念写真を撮ろう」 とお招き頂いた団体の方にお願いをして撮影して頂いた写真です。
隣(注:次の写真)は、当時参議院議員で秘書をしていた山本一太さん・須藤県議との写真。市議会議員になった年・館林市内での忘年会でお会いした時の写真です。今回の市長選挙では、知事として全面的に支援して頂いています。私自身、秘書として一番身近に感じられ尊敬出来た政治家でした。
移動中でもパソコンを膝に置き絶えず勉強している方でした。 何処の会場でも、その場の雰囲気・来場している年代層を観て挨拶を考え一瞬にして、山本一太の渦を巻き起こしてして会場を後にする。 挨拶や市政報告会などの質疑応答で、難題な質問であっても参加している全ての人を納得・魅了してしまう須藤和臣市長。 タイプは異なりますが二人とも「政治家」として一流の知識人であり教養人であると思います。
さくらい まさひろ 育てる会
オリジナルの閲覧はこちら(PDF)