【須藤和臣】

すとうかずおみ

自民党

2012年 4月
2012年4月26日オール群馬の地酒 「舞風」試飲会


環境農林常任委員会開催の後、懇親会を開催致しました。
目的は、4月18日に一斉発売をしましたオール群馬の地酒「舞風」 の試飲です。

この新酒米・舞風は、5年ほど前から、群馬県の農業技術センターで 開発を始めていたものです。

そして、昨秋、佐波伊勢崎地域の農家の方に御協力を頂き、刈り取りが行われました。
その舞風が、今年冬、県内の15の酒蔵で杜氏の方々により、仕込まれました。
使用された酵母菌は、群馬県産業技術センターが、開発した群馬KAZE酵母です。
酒米、酵母、水、蔵元、すべてが、オール群馬県産です。

味の方は、それぞれの蔵元で、微妙に違うようですが、飲みやすいと言う点では、一致していました。
日本酒が、あまり得意でない私でも、分福酒造さんなどの舞風は、清流のように味わえました。

試飲会の最後、副委員長という役割から、私は以下のような、講評をさせて頂きました。

「オール群馬の力を結集した、完成度の高い、素晴らしいお酒だと思います。
しかし、舞風が、日本一のブランドを目指すのであれば、酒米・舞風を作る農家の方々にもそうした思いを 共有して頂き、更にこだわりを持って酒米を作って頂く必要があると思います。
また、酒米の産地は、佐波伊勢崎地域のみならず、中山間地の利根・沼田地域、或いは水郷地帯の板倉地域などにても 試みてよいのではないでしょうか。
今後、15の酒蔵さん以外にも御協力を頂き、オール群馬体制で、是非、日本一を目指すべきです。」

群馬の新たなプロジェクトXが、進みつつあります。
ここに参考までに舞風を使用している15の蔵元をご紹介します。
皆様も一度ご賞味ください。

前橋市
柳澤酒造
町田酒造店

高崎市
牧野酒造
 

藤岡市
高井
松屋酒造

甘楽町
聖徳銘醸
 

みどり市
近藤酒造
 

太田市
島岡酒造
 

館林市
分福酒造
 

沼田市
大利根酒造
永井本家

川場村
永井酒造
 

長野原町
浅間酒造
 

吉岡町
柴崎酒造
 

渋川市
聖酒造
 





2012年4月26日下仁田小学校調査 「新木造校舎落成」


2012年4月 群馬県下仁田町立下仁田小学校が、開校しました。
町内にあります4つの小学校を統合しての開校です。

今回の調査の目的は、開校に際して建築された校舎にあります。
落成した校舎は、2棟。
一棟目は鉄筋コンクリートづくり3階建て。二棟目は木造づくり2階建てです。
下仁田町関係者によりますと、二棟とも町有林を使用した木造づくりで 建築したかったようですが、3階建ては耐震の面で木造建築が認められないという点と、 鉄筋に比べて2~3割のコスト高だという理由にて、折衷案に妥協したようです。

木造校舎の中に入ってみますと、思わず深呼吸がしたくなります。
また、鉄筋校舎の方も内装面には、ふんだんに木を使っていました。(写真参照)

木造の建物には、素晴らしいメリットがあるといわれます。
1.抜群の吸湿性。木材板を張ったテストでは、その時の温度には関係なく55%の湿度を保つ事が
  証明されました。
2.断熱性能が高い。
3.音響特殊性(高周波成分の減衰率が高い)がある。これにより音が、より心地よい音へと
  変換されます。
4.心を癒す香り。ひのきの香りでは、脳を活性化する事が、証明されています。よって集中力の
  向上が期待されます。
5.香り成分による抗菌作用。感染防止が期待されます。
6.木材には、紫外線吸収がある。木の部屋は、目にも、肌にもやさしいといえます。

私は、下仁田町長さんはじめ、教育関係者の皆様に、この論説を、是非実証して頂けるようお願い致しました。
県内の子供たちの教育環境・学力向上を目指して、様々な観点から、今後も模索を続けて行きたいと思います。




2012年4月21日足利学校にて「宥座の器」寄贈

現代の名工・針生清司氏が
足利学校に寄贈された宥座の器


昔から、足利の街を訪れますと、何かしら息吹のようなものを感じます。

「都へ!」という風があります。
こうした背景には、日本最古の大学、足利学校の存在があると思います。
かつて、この学校には、全国各地から学生が集まりました。
自学自習を基本とし、儒学などを修め、各地へと巣立ったのでした。
4月21日、この足利学校に館林市在住の現代の名工、針生清司氏が、制作された「宥座の器」 が、寄贈されました。
宥座の器とは、「虚なればすなわち傾き、中なればすなわち正しく、満つればすなわち覆る」器であると 説明されています。
かつて、孔子は、宥座の器をもって、教訓を示されました。
2500年前、中国の君主も、座右の器として身近におかれていたそうです。
針生氏は、この「宥座の器」を13年の歳月をかけて再現する事に成功させました。
そして、その後、東京湯島聖堂、岡山閑谷学校、長崎孔子廟、そして足利学校など 日本四大孔子廟に寄贈されています。
2009年には、中国山東省曲阜市にあります、孔子研究院にも寄贈されました。
私もこの寄贈活動のお手伝いをさせて頂いています。
現代の社会には、「中庸の教えを問う」事がまさに大切であると感じるからです。
足利学校の宥座の器が、足利市民に、そして訪れる観光客の皆様に、親しまれますことを願っています。





2012年4月11日政府のTPPに関する説明会に出席して思うこと。
米国のアジア外交の基本は「分断」

(写真は、米国から購入したミサイル)
この日、政府によるTPPに関する説明会が、群馬会館で行われました。
政府側の説明者は、内閣官房国家戦略室 中川周氏です。

中川氏は、日本の現状と将来、日本を取り巻く国際環境など、TPP加盟の 背景と必要性を詳細に説明されました。
また、加盟各国の代表者の発言などを引用しながら、TPP協定の中身についての 見通しを示されました。

説明の後、参加者と質疑応答が行われましたが、中身は、主に政府側の理論と説明へ の抵抗がほとんどでした。
ある高崎市出身の若手農業後継者の方は、「TPP加盟に向けて、日本の農業対策をど うするつもりなのか」との質問が、なされました。
しかし、中川氏は、「野田総理は、美しい農村を守ると言っている」との言葉を繰り 返すばかりでした。
また、政府側の出席者である、農林水産省国際経済課 国際交渉官の宮島栄一氏の言 葉は、こうです。
「TPPに入ると決まったわけではないので、対策はお示しできない」と。
これらは、民主党野田政権と政府官僚のTPP加盟に関する「温度差」を感じる一場面 ではないでしょうか。

TPPは、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)構想へのステップであると、今回も説明が 行われましたが、 実際は違うものだと、私は感じています。
TPPの構想は、一見、希望ある美しい構想にみえるのですが、決してそうではない と思います。
前例から見る限り、アメリカによるアジア外交の分断工作そのものと、感じられま す。
実は、アメリカにとっては、アジアが一つになる事は、決して歓迎するものではない からです。
むしろ脅威なのです。
アジアの緊張感こそ、アメリカ軍需産業を潤す要因にもなっているからです。

そもそも今回のTPPにおいても、FTAAPでまとまろうとしたアジアを先回りして、分断 させてきました。
そして、あくまでも米国中心という所にこだわり、アジア太平洋を構築する戦略をと り始めたのです。
この点を私たちは、よく理解すべきだと思います。

TPPによる非関税の自由貿易や投資の緩和は、域内の経済においては、必ずや活性 化につながるでしょう。
しかし、それだけには、終わらないのです。
例えば、経済が活性化する事により、様々な資源が、再び高騰してきます。
また、そうしてできる完成品は、国際的な価格競争にかかり、今まで以上の低価格に 挑戦しなければならないのです。
今まで以上に、過酷な戦いとなります。
つまり、資源インフレによる製品デフレ現象が起こるからです。
具体的には、工業界においては、製品の「豊作貧乏」が起こります。
そして、メーカーや下請けにおいては「利益無き繁忙」が生じると懸念されるので す。
そして更に、地球温暖化などの環境問題の悪化も加速させ、農村などの地域コミュニ ティの衰退も加速させるでしょう。
最終的には、米国主導のTPPとは、理想の社会とは、ほど遠い結果をもたらすと私は 考えます。

かつて日本近代資本主義の父、渋沢栄一は「恕」という言葉を最も大切にしました。
「恕」とは、思いやりです。
また、近江商人は「三方良し」という日本商業の伝統を築きあげました。
こうした、良き伝統は、海外で活躍する日本の総合商社に今も受け継がれています。
そうしたすばらしい伝統を抱き、今、日本こそアジアにおいて真のリーダーになるべ きではないでしょうか。
今までのような米中の狭間に埋もれながら生きていく時代には終わりを告げるべきな のです。

日本が、もっと主体的に、隣国韓国などとより信頼関係を構築し協力していく事こそ 新しい21世紀の国際社会の在り方ではないかと、感じています。
今こそ日本は、アジアにおいての真のリーダーシップを発揮すべき時ではないでしょ うか。





2012年4月10日韓国と東国文化の関係調査の報告
(3)ハルラ山と榛名山の関係
韓国の山と群馬県の山には、意外な共通点が見られます。
例えば、山の名が同じものに赤城山があります。
また呼び名の発音が似かよったものに、日本の榛名山と韓国の漢拏山(ハルラ山)があります。
日本では、「はるな」と呼び、韓国では、「ハルラ」、または「ハンナ」と発音します。
ちなみに日本の榛名山麓の一部の地域でも、榛名山のことを「ハンナ山」と発音するそうです。
私達は、こうした山という情報からこぼれおちる古代史の物語をも拾おうと、現在研究と調査を進めています。

赤城山についての情報は、次の通りです。
かつて赤城山は、黒保山(くろほやま)と呼ばれました。
しかしいつしか赤城山という呼称が定着したのです。
呼び名が変わったという謎は、韓国清州市の国立清州博物館を訪れると、私なりにおおよそ推測できました。
博物館には、韓国の赤城山碑のレプリカがあります。
その山碑に、新羅が高句麗を攻める際の第一の砦を、赤城山におくのだという意が、記されていました。

群馬県の赤城山も、当時異国であった蝦夷(東北地方)を攻める際の第一の砦となった所です。
推測の範疇とはいえ、こうした共通点は、きっと歴史の真実を隠しているものと感じます。

また、榛名山の方ですが、かつては伊香保山と呼ばれていました。
しかしこの山も、いつのころからか、榛名山という二つ目の呼び方が出てきたのです。

当時、古代の朝鮮半島の人々にとっては、火山と言えばハルラ山を思い出しました。
そうした人々が、かつて群馬に渡来し、榛名山の噴火を見た時、懐かしく故郷の「ハンナ山」をきっと思い出したにちがいありません。
そうして長い時を経、その名が定着したのだろうと推測するのです。

私達一行は、今回、済州道副知事を訪問し、そうした新たな説をも伝えて参りました。
いつの日か、世界遺産済州島が、「日本の榛名山の故郷!済州島・ハンナ山」と売り出す日が来るかもしれません。
古くて、新しい交流の歴史が、これから始まりつつあります。





2012年4月10日韓国と東国文化の関係調査の報告
(2)西暦663年 白村江の戦いを偲ぶ
韓国と東国文化の関係を知る上で、忘れてはいけないのが、西暦663年の白村江の戦 いです。
日本からの援軍、2万7千人の人々が海に沈んで、あるいは捕虜となって命を落とし ていった戦いです。

白村江の戦いについて、少しご説明をします。

時は、新羅と唐の連合軍が、百済を滅ぼした最中です。
倭国は、友好国である百済を救済しようと、百済復興軍を結成しました。
その数は、3つの軍に分かれ、計2万7千人もの大軍隊であったと言われています。
そして、百済救済・復興軍の中心的人物となったのは、上毛野君稚子(かみつけのき みわかこ)でした。
稚子は、毛野国の開拓者、上毛野氏の子孫です。

当時の群馬は、大和政権にとっては、異国の東北地方を抑える要衝としての位置づけ がなされていました。
つまり軍事拠点であり、馬が生産され、人々も武術において大変優れていたのでし た。
軍の中心となった人が、群馬出身であったという事は、そうした背景からも何も、不 思議な事ではありません。
また上毛野氏に、古来より百済と深いゆかりがあるという事も、理由のひとつであっ たのかもしれません。

ところが、白村江の戦いは、大敗でした。
そしてこの戦い以降、倭国は、新羅に攻め込まれるという危機感を持ち、長く怯える 事となります。
まず福岡・太宰府には、水城を直ちに作り備えました。
更に、九州や瀬戸内海各地には、山城を築き、新羅に対しての防衛を固めます。
この大敗北によって、倭国は日本という国へと変わっていくのです。
今日の日本の原型である国家の体制が整えられていきました。

政治的には、律令制度を整え、全国に国府を置き、国家思想の根本を成す古事記・日 本書紀を編纂したのです。
そして、奈良東大寺に大仏を建立し、仏教を奨励、全国各地に国分寺・国分尼寺を置 きました。
また、通信網である道路も、この頃、本格的に整備されたのです。

日本人は危機に強い。敗北後に立ち上がると言われます。
その第一回目の敗北と危機が、白村江の戦いであったと言えましょう。
2万7千人の内、多くの上州人がその礎となったのです。

白村江のほとりにて、私は、そうした上州人を誇りに感じながら、思いを馳せまし た。





2012年4月10日韓国と東国文化の関係調査の報告
(1)古墳出土品の類似性

金銅製飾履 長:35cm
3月28日から31日までの4日間、韓国を訪問致しました。
平成24年度の新規事業として、「東国文化の中心地・群馬」の発信に県は、取り組みます。
私達、群馬県議会 歴史遺産を守る議員連盟のメンバーは、 古代における韓国と東国文化の関係を調査しようと、訪韓致しました。
調査団のメンバーには、群馬県立女子大 群馬学センター副センター長 熊倉浩靖氏、 (財)群馬県観光物産国際協会副理事長 入内島一崇氏も加わっています。

私達が、訪れた場所は、国立中央博物館、国立公州博物館、国立扶余博物館、国立清州博物館です。
そこにて、それぞれの館長さんと意見交換をさせて頂き、また研究員の皆様からは、丁寧な説明を頂きました。

群馬県の古墳からの出土品と韓国の古墳からの出土品には、多くの類似性があるといわれています。
ひとつに、百済の武寧王陵から出土している、獣帯鏡、銀杯、銅椀、飾履ですが、 これは、高崎市綿貫観音山古墳や下柴谷ツ古墳から出土しているものと、全く同類のものです。
前橋市金管塚古墳の金銅冠と清州博物館所蔵の金銅冠にも、同じく同類性が見られます。
また、高崎市吉井の多胡の古碑にある「𦊆」という字ですが、国立中央博物館所蔵の青銅製壺にも「𦊆」という字が使用されていました。

古代東国文化は、渡来系の文化の影響を色濃く受け継いでいるようです。
その中でも群馬県では、百済王朝とのゆかりが特に深かったのではないでしょうか。
知れば知るほど、東国文化の向こうに、朝鮮半島との交流の様子がしのばれます。
まさに歴史はロマンです。





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