【須藤和臣】

すとうかずおみ

自民党

2012年 12月
2012年12月16日新たな出発!

鈴木貫太郎首相
総選挙とは、国の総理大臣を選び、政権政党を選択するための選挙。
選挙の結果、安倍晋三氏を総裁とする自民党が、国民の信任を得、新たな国づくりが始まりました。

上州と上州人は、この新たな国づくりにどのように貢献すべきでしょうか?
私は、まずはそう考えます。
温故知新、歴史を振り返れば、未来が見えてきますが、 かつて上州と上州人は、日本建国の礎となってまいりました。

古代、日本にとって初めての大戦といわれる663年の白村江の戦いでは、唐・新羅連合軍に敗れた、同盟国百済を再興するため、 2万7000名の倭国の人々が朝鮮半島へわたりました。
その中心部隊は、上毛野君稚子を将軍とする上州人でした。
結果は、善戦むなしく敗北し、白村江へ沈んだものと思われます。
この敗戦がきっかけなり、倭国から日本建国へと至るのです。
白村江に眠る上州人は日本建国の礎となった人々です。

また、明治の初期、群馬県は吉田松陰の義弟・楫取素彦を初代県令に迎ています。
吉田松陰とともに松下村塾の先生であった楫取素彦は、養蚕・製糸業で産業振興を果たした後、教育振興に力を入れていきます。
松下村塾の遺伝子を群馬の地に注入していったのです。
終戦時の鈴木貫太郎首相(前橋出身)は、そうした楫取素彦の教育の影響を前橋の学校で受け、天皇陛下に良く仕え、終戦を取りまとめるために首相になった方です。
鈴木貫太郎首相がいなければ、終戦後、日本がソ連と米国に分割されていたかもしれません。まさに終戦時、日本の礎となった人物です。

戦後、群馬県は4人の総理大臣を輩出するなど、まさしく人材育成、人材輩出県でありました。
上州人とは、普段は剛毅木訥であるが、危機の時には立ち上がると言われています。
過去も、現在も、未来も、上州と上州人の役割は、日本の礎になることではないかと、私は思います。

日本が新たな国づくりをしようとする今、上州と上州人もまた、新たな出発を致しましょう。




2012年12月1日古代の群馬から 東アジアの未来を考える
シンポジウム ー百済destination東国ー

韓国 忠清南道 扶余 百済団地
群馬県庁ビジターセンターにおいて、「古代の群馬から東アジアの未来を考えるシン ポジウム」が開催されました。

主催は群馬県観光物産国際協会、共催は日韓交流議員連盟、後援は群馬県でありま す。参加者は約100名でした。

基調講演を韓国、忠清南道国際専門チーム長の洪万杓(ホンマンピョ)氏と群馬県立 女子大群馬学副センター長の熊倉浩靖氏にして頂きました。

両先生には、古代における朝鮮半島百済と倭国東国の中心地群馬の関係を紐解きなが ら、かつて両国、両地域が、非常に濃密な関係にあったことを解き明かしていただきました。

後半のシンポジウムでは、両先生の他、県国際戦略課長向田氏、日韓交流議連幹事長 萩原氏、県観光物産協会会長山口氏をパネリストに迎え、 東アジアの未来について高い見識をお示しいただき、これからの日韓観光交流など、 積極的なご提言を頂きました。

このシンポジウムのコーディネーターは、私が務めさせていただきました。

コーディネーターとしてのまとめに、韓国と日本は「一衣帯水」の国と言われますが、 古代の歴史では、百済と群馬の関係はむしろ、「血は水より濃し」という言葉の 方が似つかわしいのではないかと、私自身の驚きを含めた感想の言葉を述べると、会場の 多くの人々からは、熱い共感の拍手をいただきました。

シンポジウムの最後には、観光物産国際協会 副理事長入内島氏より3つの行動宣言が行われました。

以下、簡単に行動宣言をご紹介します。

1、2013年は、白村江の戦い(663年)から1350年。群馬県から百済(忠清南道)へ使節団を送る。

2、2014年は、大百済祭60周年。忠清南道は日本で百済展を企画中。群馬に百済展を誘致する。

3、今後、百済文化と東国文化の相互研究を推進する。




すとう かずおみ の県議会での一般質問の様子など を動画でご覧いただく事が出来ます。


すとう かずおみ メールマガジンのご登録について

後援会に関する情報やご入会方法について

copyright© すとう かずおみ事務所. All Rights Reserved.